6章 医療安全委員会調査結果の活用と情報公開
6-1 調査結果の活用
6-2 医療事故情報の意義と活用
6-3 医療事故情報のインフラ整備
6-1 調査結果の活用
1)医療安全委員会調査の尊重原則
私たちが提言する医療安全委員会の判定は、当該臨床分野の専門家の自由な議論を経て出されるものであるから、その判定は何よりも尊重されなければならない。 医師の診断や治療行為が事故に関係している医療事故の調査では、当該医師に対するインタビューが重視される。このため、原因分析調査委員の調査は、事実をありのまま話せる場でなくては本来の目的が達せられない。医療者が医療安全向上の目的に事実を正直に話しても、自ら語ったために自らの責任を問われる可能性があれば、黙秘権(憲法38条)の行使もありえ、事件の正しい事実検証が行われなくなる可能性がある。しかし医療安全委員会の調査対象となった事故については当事者が現場を語り、医療判断と医療行為が他の複数の専門家によって医学的に評価されることが重要である。すなわち、医療事故の検証においても、当該分野の専門家によるピアレビューが肝心で、事実関係の検証と評価が再発防止の鍵を握る。そこで、調査への協力及びその後のプロフェッショナルオートノミーによる教育などを真摯に行なったかも考慮した上で、行政処分の要否やその内容を決定する。刑事処罰は、それでも刑罰を課する必要がある場合に限定していくことになるが、謙抑性からも妥当である。 厚労省第二次試案は「行政処分、民事紛争及び刑事手続における判断が適切に行われるよう、これらにおいて委員会の調査報告書を活用できることとする」とした。
2)事故調査結果報告書の民事事件での利用
事故調査結果報告書は、医療機関および遺族の双方に説明の上、渡される。事故調査結果報告書は、事実の認定と再発防止の視点からの評価であるが、専門家のピアレビューを経た重要な資料である。そのため、民事事件の証拠として、医療機関も遺族も自由に事故調査結果報告書を提出することを認める。そうすることにより、必要以上に訴訟の場で鑑定合戦を繰り返したり、事実認定に長期間を費やしたりすることを回避し、訴訟経済にも資することになる。 但し、事故原因分析委員や調査に関わった関係者は、医療安全委員会の中立性とその地位の保護のため証人能力または鑑定人能力を認めないとすべきである。
3)事故調査結果報告書の刑事事件での利用
刑事事件では、故意犯にしても過失犯にしても個人の責任追及を目的としているため、本来の事故原因の一部だけを取り出し、刑事事件として議論されてきた。そのため、医療現場の実態から大きく乖離し、医療者にとっての違和感にとどまらず、医療行為の萎縮まで生じさせた点は反省を要する。これまで、警察、検察は、業務上過失致死が認定するため、多くの医師の助言を受け、鑑定書を取り付けてきた。他方、被疑者になった医師もまた、他の医師から鑑定書を取り集め、双方が捜査の場や裁判の場で、ピアレビューならぬ鑑定合戦の様相を呈していた。刑事裁判において鑑定に長時間を費やすよりも、今後は事故調査結果報告書を証拠として使用することを検察、医療者にも認め、事故原因の実態を充分に理解した上で、実態に適した運用となることが望まれる。 しかし、事故原因分析委員や調査に係わった人の証人能力または鑑定人能力は、民事事件でと同様否定すべきである。 なお医療事故と対比しうる航空機事故においては、日本では航空機事故調査結果報告書の「事実情報」「解析」「結論」「勧告」のすべてを、刑事裁判の鑑定書として証拠資料とできるとの取扱がなされている。これについては、「国際民間航空条約・第13付属書」の目的が、「将来の事故防止」であり、「罪や責任を科することが目的でない」と明記していることから、批判が多く、アメリカ、ニュージーランド、オーストラリアでは、「解析」「結論」「勧告」の部分は、本来の目的外使用を禁じている。 平成19年1月には、97年、日航機が名古屋空港に向かって降下中に機体の上下動で、乗客乗務員14人が死傷した事件について、裁判所は、刑事過失の観点から1審も控訴審も無罪を言い渡した。このことは、医療事故調査報告書の利用を検討するうえで重要である。 医療事故において原因分析委員会で行う作業は、事故の根本的な原因の調査分析である。その道の専門家によるピアレビューを経て作成された事故調査報告書は、事故の根本原因を分析した点で優れており、誤った個人責任追及を回避するためにも利用されるべきである。刑事事件の追及は、いたって慎重であるべきで、他の手段をとっても対処できない個人の違法性の強い場合に限定しなくてはならない。 ▲TOP
6-2 医療事故情報の意義と活用
1)医療事故情報は社会の共有資産一国の医療技術・水準と医療制度は社会的共有資産あるいは社会的共通資本である。同様に医療に関する情報も社会的共有資産である。とりわけ国民の生命・安全に直接係る医療事故の原因調査に関する情報は、医療事故に伴う紛争の解決と再発防止および医療水準の引き上げ、さらに医学・医療教育への活用や一般医療知識の普及に役立てるべき社会的共有資産である。 したがって中央医療安全委員会がまとめる調査報告書は社会的共有資産として位置づけなければならないが、それのみならず医療事故に関わるあらゆる情報は、中央医療安全委員会によって一元的に管理すべきである。 (1)医療側・患者側情報の一元収集たとえば、日本医療機能評価機構はじめ病院・診療所など全国の医療機関が収集・調査・分析・蓄積した医療事故情報・報告書は、それぞれの組織内に死蔵されることなく社会公共の立場から活用できるよう一元的に収集し、公開する。現在、損害保険会社が把握している過去の医事紛争の事例データ等も医療安全情報センターに集約されることが望ましい。 このため後述する英国の患者安全監視システム(The Patient Safty Observatory)のフレームワークを参考に、医療機関、行政、研究機関および患者団体からの多面的な情報を一元管理する仕組みを考えることが有用であろう。すなわち厚生労働省など国の医療安全情報部門、日本医療機能評価機構医療事故防止センター、その他医療機関団体の医療事故調査機関、医療事故の調査に取り組む市民団体・患者団体、医療事故の情報収集・調査・分析に携わる各種学会、その他医療事故情報に係る団体・機関からのインシデントレポートを集め、医療事故調査・分析情報の中枢センターとを設立することが効率的である。 現在、医療法により各都道府県に医療安全支援センターが設置されている。その設置目的は、「患者・家族等の苦情・心配や相談に迅速に対応し、医療機関への情報提供等を行う体制の整備を図ること」であるが、個別的な苦情処理、紛争処理活動についても情報共有を進めなければ、初期の目的を達成できない。医療機関からの報告と患者からの情報を突き合わせることによって、事故の姿が立体的に捉えられるであろう。 また現在、日本医療機能評価機構が会員医療機関の医療事故情報を収集しているが、この種の事業のキーポイントは、本来医療機関として届けにくい事故情報をあまねく収集することにある。しかし、会員医療機関から会費を徴収して、インシデントレポートを集めている現状では、医療機関はいわばお客様であり、医療機関にとって不都合な情報、すなわち本来収集しなければならないインシデントは集まらない。情報収集の一元化とともに、情報提供者に対して行政処分上の免責措置を講ずるなど、まず事実を「隠さない」態勢を整備すべきである。 また、会員制の「医療の質の向上」から、公益団体としての「患者利益の向上」に脱皮する制度改革が必要である。 (2)情報の公開と活用収集された医療事故情報は、すべて医療安全委員会に報告されるが、収集された医療事故情報は患者・医療者とも個人が特定できない情報として広く国民に公開し、多面的な活用に供する。 集められた医療事故情報はデータベース化され、インターネット等を通じて公開する。この制度における医療専門家の自律的再教育機関である「教育病院」では、このデータベース情報の活用を義務化するほか、日本全国の医療施設あるいは医学教育機関などでも安全管理体制の改善、医療事故再発防止及び教育に役立てるため、匿名化されたインシデント情報を積極的に活用する。特に重要な医療安全情報については医療安全情報センターから各医療機関、教育機関に発信する。 ▲TOP
6-3 医療事故情報のインフラ整備
1)英国の医療安全情報システムを参考に診療関連死の死因究明機関と医療安全を担う諸機関の機能の効果的な連携を考える上で、参考にすべきモデルの一つは英国および旧英連邦諸国であるが、法律家であり行政官であるコロナーが、診療関連死を含む死因究明制度全般に責任を負い、歴史的伝統的に重要な社会的役割を担っているというコロナー制度の特殊性1、2)を前提として理解しなければならない。診療関連死の警察への届出について、医師法21条を根拠に無際限に拡大された背景には、欧米先進国において診療関連死が他の異常死と分け隔てなく扱われている事情があったが、コロナー制度は、届出から事実認定、原因の判定、再発防止策に至る一連の制度のなかにあって機能していることを軽視してはならない。 吉田ら1、2)によると、英国の制度の基本的な枠組みは、【1】診療関連死の全例届出と個人責任不問を前提としたコロナー(変死者などの検視死官の意)制度、【2】全国統一フォーマットで入力する全国規模の医療事故報告・分析・対応システム(NRLS)、【3】医師の職能団体である英国医事審議会(GMC)が実施する医師に対する処分制度等からなる。 これら三つのシステム・機関が相互に連携しつつ診療関連死などの調査結果など医療事故情報を蓄積・流通・活用することによって事故の再発予防・問題医師の処分などが効果的かつスムーズに行われ、結果的に英国における医療の質と安全性を維持・向上に貢献している。
(1)コロナー制度と診療関連死の関係
英国の医師には異状死届出の義務はないが、コロナー事務所への全例届け出が職業倫理として守られている。全例届出は、コロナーが警察のように犯罪の存在を前提とした個人責任の追及・懲罰を目的とせずに、純粋な死因究明と事実認定に徹していることによって初めて可能になっていると考えられる。コロナーは異状死の届出受付、事情聴取、調査などから解剖の手配を経て検視陪審法廷における事実認定に至る全過程に責任を負う裁判官を兼ねた専門職公務員である。その手続きと過程は公正で公開性・透明性が保証され、調査結果や捜査内容は遺族や関係者にも説明、公開され医療事故防止のための情報として役立っている。
(2)国立患者安全機構(National Patients Safty Agency: NPSA))
英国は、2000年に国営医療サービス(National Health Service: NHS)の管轄下の医療スタッフおよび患者からインシデント情報を収集する国立患者安全機構(National
Patients Safty Agency: NPSA)を創設した。この機構は、個人の責任追及ではなく「事例から学ぶ」ことを目的に、【1】患者の安全監視、【2】事故報告・分析・学習等を行う。
患者の安全監視の仕組み(The Patient Safty Observatory)は、国立患者安全機構以外の統計情報、専門家団体、患者・市民団体から情報を収集して、NHS管轄下の医療機関で活用するというものである。 事故報告・分析・学習の仕組み(National Reporting and Learning System)は、インターネットを活用した全英規模での匿名インシデント情報の収集が特徴で、全英の医療機関の医師・コメディカルスタッフがインシデント情報を全国統一のフォーマットに匿名で入力する。匿名報告を推奨することによって隠されたインシデントを表面化する仕組みは、わが国でも検討に値する。
(3)医師の職能団体(GMC)GMCは、審議委員35人のうち一般人が14人を占め、医師の会員登録料によって運営される民間団体であるが、医学教育の卒前・卒後教育のプログラム作成を担っており英国の医療水準を決定する。 医療事故を起こした医師は、職業倫理、医療行為などGMCの5つの処分審議会で専門的な事実認定と評価によって審議され、会員登録の停止・抹消などの処分を受ける。会員登録の抹消は事実上の医師免許取消に相当する。わが国で現在計画中の第三者機関も、本提言書2-2で指摘したように、積極的な専門家の参加によって実質的にプロフェッショナルオートノミーが発揮されるようにすべきだろう。
2)多角的情報連携の提案以上を参考に、以下のような情報連携を充実させるべきであろう。 (1)包括的医療事故情報データベースの創設中央医療安全委員会の調査報告書および他のすべての医療事故情報を一元的に収集・管理し、事故当事者、医療機関・医療従事者・病院管理者、その他行政機関および医療界・一般国民が原則的にアクセス可能な開かれたデータベース管理組織(仮称)「全国患者安全情報機構」を構築し、同委員会に置く。この機構は医療事故の調査・分析・研究の専門家を養成し、全国から報告・集積されるインシデント・アクシデント情報と重大情報の評価・分類・分析・区分けしてデータベース化する。データベースは原則、公開とし、個人情報については一定の基準を設け保護する。 (2)包括的な医療情報報告・収集システムの開発包括的医療事故情報データベースの構築のため、医師・看護師ら医療職、コメディカルおよび患者・一般市民らが体験・目撃・収集した医療事故やニアミスを含むインシデント・アクシデント情報を、匿名で簡便に通報・集積できるよう標準化した入力システムを開発する。急性期病院、一般診療所、知的障害者施設、薬局など医療機関のタイプ別に全国共通のフォーマットを作成する。
(3)「医療安全情報センター」の設置包括的医療事故情報データベースに集積された調査報告書・情報および一元化された入力システムによって収集された情報を分析・評価し、各分野に利用可能な形で提供することによって、医療事故の紛争解決、再発防止および医療水準の引き上げ、さらに医学・医療教育や一般医療知識の一般市民の医療事故知識の啓発に役立つ「医療情報センター」を設置する。
参考文献
1)吉田謙一, 他: 医療関連死・医療紛争対応行政システム1, 英日比較英国のコロナー制度に見る医療事故対応―第三者機関のモデルとして. 判例タイムズ,
1152
2)吉田謙一, 他:英日比較英国の医事審議会GeneralMedicalCouncil. 判例タイムズ64 C1153
3)吉田謙一, 他:英国の国立患者安全機構と“世界初”国家医療事故報告制度, 日本医事新報, No. 4331, 2007.4.28
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