4章 医療ADRのあり方と無過失補償
4-1 コンフリクトとメディエーションのプロセス 54
4-2 医療紛争前システムと医療紛争後システム 54
4-3 医療安全委員会と外部ADR部門 56
4-4 無過失補償
4-1 コンフリクトとメディエーションのプロセス医療は本来、不確実なものであるため、診療などにおいて、「コンフリクト」が生じやすい。「コンフリクト」とは、もともと相容れない二つの要素の対立状況を示すが、人と人との争いのみならず、ある個人の内面で生じている葛藤コンフリクトである。特に医療事故により、重篤な結果や死亡がもたらされたとき、患者家族・医療者が向かい合い、対話を通じて自らの力で問題を解決していくことが、本質的な問題解決のアプローチである。このように、対話と合意を通じて協働的かつ柔軟に双方の問題を解決していく医療コンフリクトマネジメントが重要である。その対話を基本におきながら、紛争対応としてメディエーション(mediation:調停の訳があるが裁判所の調停ではない)がある。メディエーションは、対立する2人以上の当事者が中立の第三者であるメディエーターから支援を受けながら、対話し、合意し、葛藤を乗り越えていくプロセスである。 そこで、基本的に医療紛争では、その解決の手段として訴訟ではなく、裁判外紛争解決(Alternative Dispute Resolution:ADRと略され使われている)を重視するべきである。 ▲TOP
4-2 医療紛争前システムと医療紛争後システム裁判外紛争解決は本来的には、紛争後の解決システムであるが、医療ADRの場合は、医療者が専門職として裁判外紛争解決をしながら医療の質を上げていこうとする取り組みである。そのため、紛争後の解決システムだけを論議すると、本質的な医療の質の改善にはならない。 医療ADRは、患者家族のクレームに対する初期対応と医療事故後の患者家族に対する初期対応の二つの「医療紛争前システム」と「医療紛争発生後システム」機能を分けることができる。 1)医療紛争前システム「医療紛争前システム」は、患者の自己決定を尊重し、十分な情報提供の上で、患者、家族と医療者が信頼関係の上に医療を行っていくためのものである。 医療紛争は多くの場合、医療者・患者・家族間のコミュニケーションのあり方が、深く関係しており、特に患者家族が医療のリスクを認識していない状況から紛争が派生していることが多い。例えば身体への侵襲が大きい手術や検査では、現在の医療水準下で細心の注意を払い実施したとしても、一定の確率で合併症が生ずる。そこで医療者は患者家族が十分医療に伴うリスクを認識できるように働きかけていくことになる。 医療者は、患者の自己決定権を尊重する意味も含め、十分な情報提供を行なう必要がある。情報提供が十分行なわれず、期待に反した結果になった場合や、情報提供を行なってもその内容が理解されていない場合は、医療紛争に発展しやすい。 このような時、病院内において、患者・家族と医療者が話し合える「場」を設け、院内メディエーターが患者・家族の不信・不満を早急に解決していくため、個々の患者に適したリスクを含め医療内容を理解しやすくする「インフォームド・コンセント」を実践していく。それが各医療機関の質を向上させていくことになる。 2)医療紛争後システムこれに対し、医療事故発生後、当該者・主治医・上級医師・病棟師長、看護師、事象に関係あるその他の医療者は家族に対し、起きている事象の事実、事象が起きた要因・原因(まだ分かっていない場合は、調査を行っていることの説明)を、丁寧に真摯な態度で説明を行う。その際事象が起きた結果についての謝罪を行う。このように現場の事実説明と継続的対話を行ってきても、患者家族が納得行かない場合、ADRを行う。 「医療紛争後システム」は、重大医療事故発生後の事象や、医療紛争が明らかになっている事象に対し、患者家族の不安や怒りをやわらげ、今後発生する問題の相互理解のために対話を継続していく医療ADRをいう。 3)メディエーターの重要性医療ADRを行う場合、メディエーターが重要になるが、患者家族が、仲介するメディエーターを不服とした場合や院内にメディエーターが配置されていない場合、外部メディエーターを依頼できるようにする。 また予期しない診療関連死の届けの際、初期判定員は必ず、遺族・医療機関に院内メディエーションを実施したか否か調査・確認を行い、必要に応じ地方医療安全委員会にある「外部ADR部門」において「ADR」が実施可能であることを説明し働きかけを行なう。 遺族が医療安全委員会にある「外部ADR」を希望した場合、初期判定員は遺族・医療者側・「外部ADR」と調整を図る。「外部ADR」は、医療安全委員会の原因調査分析委員から原因分析と改善について説明された後でも、実施可能にする。 ▲TOP
4-3 医療タ全委員会と外部ADR部門1)事故原因分析後の対話の必要性医療安全委員会により、事故原因について調査分析がなされ、調査報告書に基づき、報告がなされた段階で、すべてが終了するわけではない。遺族の調査報告書の疑問の解消や医療不信、医療機関への怒りなどのケアも必要である。 そのためにも、遺族と医療機関の対話を通じて向かい合い関係回復を図る。その上で、必要に応じ補償や賠償の問題の解決を図ることが大切である。 また他方、医療事故から当該医療者が医療機関や他の医療関係者との間で軋轢が生じ、医療安全委員会の判定以上の不利益を被っている場合には、当該医師の申出により、メディエーターにより対話による調整を図る。 2)医療安全委員会における外部ADR部門について平成19年いわゆるADR法が施行され、一定の要件を充たせば、誰でもADRの機関を設立することができるようになった。 しかし、医療ADRは、医療という特殊性と問題となっている事案の重大性、深刻性から、ADRの機関ならよいというわけではない。上記のような卓越したメディエーターを備えた機関でなければ、かえって遺族の医療不信などを深めることになる。そこで、外部ADR部門は、医療メディエーターの教育と認定を行い、十分な能力を持った医療「メディエーター」を育成すると共に登録して、小規模医療機関のにおける事故に対応できるようにする。 また、外部ADR部門では、当該医療機関に「メディエーター」が配置されていない場合や、中立に関する信頼性が保てないと疑義が出された場合、遺族に代わり、当該医療機関と医療ADR実施のための調整業務を行う。 3)メディエーターに求められる能力医療ADRは、メディエーターの支援を受けた対話型ADRが重要である。現在「院内ADR」の法制化が検討され、一定規模の病院に「メディエーター」を設置することが検討されている。「メディエーター」は「仲介を行うにふさわしい者」として、いろいろ論議されているが、大事な能力は「法律に関する知識」と「遺族を理解しコミュニケーションできる能力」そして「医学的専門知識」であり、それらを統合でき、中立的に患者家族と医療者の対話と合意を支援する能力を有する者として定めるべきである。これらの知識の中で、もっとも重要なものは、「遺族の心情を理解している」ことであるが、このうち1つだけの知識で「メディエーター」の仕事をした場合、遺族に感情的しこりや医療不信が残されたままとなる。 そのため、「メディエーター」の教育は重要となる。 ▲TOP
4-4 無過失補償1)無過失補償の必要性と制度設計被害者、遺族の願いの一つに、被害の回復、損害賠償がある。このためADRの解決を促進するためにも、補償制度を作る必要がある。 民事裁判の現状を見てみると、平成18年度の第一審の医療関係民事訴訟の平均審理期間は平均25.5ヵ月、同年度の通常訴訟の平均審理期間は7.8ヵ月、認容率も通常訴訟と比べ格段と厳しい現状にある。 原因究明がされた後も、救済されるまでに長い年月と費用をかけて、さらに苦難を乗り越えなければならない。しかし、民事裁判では、原則として過失、因果関係の有無によって、賠償金はオール・オア・ナッシングが原則である。医療には危険がつきまとうものであり、情報の非対照性や医療訴訟の高度の専門性を考えた場合、迅速な救済に資する制度の構築が望まれる。 世界的にみた場合、北欧諸国では、社会保障制度の一環として、無過失補償の制度を導入し、先進諸国では、特定疾病に限定して導入しているところ、また、導入を検討している国は多い。ADRの機能が充実しても、そこには、被害の回復としての金銭的な問題は残る。この問題のために、やはり民事裁判を提起しなくてはならないとなると、ADRの対話だけでは最終的な解決を図ることは困難である。 そこで、医療安全委員会が診療関連死と判定した事例については、無過失補償の趣旨に沿った制度設計を早期に確立することを要する。医療が常にリスクと侵襲性を伴うものであることを考えたとき、自動車事故によるリスクと類似している点もあることから、自動車損害賠償保障法が参考になる。同法は、無過失を立証できない限り損害賠償を課し、損害については保険によって填補するという制度としている。 医療についても、無過失を医療者側が証明できない場合には、補償するとすることで、過失の証明が明確にできない、グレーゾーンにある事案についても、早期に救済が図れる。また、各ADRごとで似た事案が全く違う解決がなされることは不都合を回避することにもなる。 また補償額は、現在のような裁判で認められるような賠償金の高額ではなく、定額またはある程度のランク付をした上で、他に必要な舶ェは現物給付の社会保障の制度を拡充していくことも検討する。遺児については、交通事故のように奨学金制度を立ち上げ、一家の大黒柱が死亡の場合には母子家庭給付、母親が亡くなったときには、家事代行等介護保険と同様のシステムを利用できるようにすべきである。 ファンドとしては、健康保険料として国民からの一定の拠出と保険医、保険医療機関の登録の際に一定の金額を支払わせる。但し、自由診療の場合は、双方自己責任とし、この制度ではカバーしないというのが、現実的であろう。 2)事故への調査協力と求償権の関係過失があった医師に求償権が発生するが、調査に協力した医師は、仮に過失が認められた場合でも、求償を免除することを考えていくべきである。というのは、自動車事故では、加害者は、自動車の利益を享受しているが、医療者は、医療行為を行うだけで利益を享受するということは(報酬はあるが)なく、また、調査に積極的に協力することで、次の医療安全対策も図っていくことができるからである。 参考文献 日本弁護士会: 「医療事故無過失補償制度」の創設と基本的枠組みに関する意見書 近藤昌昭: 医療安全に関する民事訴訟の現状. Jurist, 2006.11.15, No.1323
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