2章 “医療安全委員会”を中心とした新たな体系
2-1 原因究明機関および医療安全委員会のあり方
2-2 モデル事業の収穫
2-3 医療事故対策としてのプロフェッショナルオートノミー
2-4 医療機関の内部事故調査委員会の役割
2-5 プロフェッショナルオートノミーと行政処分の関係
2-6 第三者機関と刑事責任との関係
2-1 原因究明機関および医療安全委員会のあり方
1)再発防止を第一義とした事故原因の究明
新たな医療安全委員会構想では、再発防止に結びつけることを第一義として事故原因の真相究明を行う。死因の究明のみならず、過誤を招いた実質原因を含め、安全管理の上でどのような方策をとれば事故を防ぐことができたかという観点から事故原因を究明する。たとえ真の原因が確定されたとしても、それが改善可能なものでなければ、十分ではない。原因調査分析委員は、事実の認定の後、それを評価し、病院安全管理の側面と医療者個人の問題に分けて改善策を提案する。
2)医療安全の向上を目的とした医療機関と医療者個人の処分
地方医療安全委員会は、原因調査分析委員による事故原因調査報告にもとづき、医療機関の安全管理の改善、医療担当者個人の医療安全能力の向上の観点から、各々処分を決定する。責任に応じた処分については別項で述べるが、この処分は、病院に対しては地方医療安全委員による指示、命令、改善の評価、医療担当者個人については教育病院による臨床教育からなり、必要な期間、業務を制限し、または禁止する。決して、個人の責任とシステムエラーとは二律背反のものではない。多面的な検討が重要である。
3)原因究明機関とプロフェッショナルオートノミーの関係
医療事故調査を目的とした第三者機関(医療安全委員会)には、プロフェッショナルオートノミーを機能させるための仕組みを最優先で取り入れ、医師及び全ての医療従事者がその機能の維持に全面的に協力をすべきである。医師は、国民に真の信頼を得られるような自律的行動、すなわちプロフェッショナルオートノミーを機能させることを求められており、それなくして職業的自由は得られないと自覚しなければならない。
医療事故が起きた場合には、本来であれば医師自らが専門職集団として専門的見地からの調査や処分を行うべきであり、それを行政機関や警察に委ねることは、専門職としての独立を放棄するものである。世界医師会のマドリッド宣言にも謳われているように、専門家としての医師が、職業的自由を保証されるためには、個々の医師に適用されるいろいろな規制に加え、医師自身が自己の職業的行為を律することに責任を負わなければならない。仮に医師のプロフェッショナルオートノミーに対して国民が信頼を寄せるようになれば、公的機関による調査や処分は次第に限定的なものになるはずである。ただし現時点では医師集団は決して国民の信頼を得ているとは言えず、信頼を勝ち取るためには相当な努力を要する。
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2-2 モデル事業の収穫
モデル事業は、それがパイロットスタディであるという性格上、「何ができたか」という視点ではなく「何が分かったか」という視点で評価しなければならない(以下、モデル事業関係者からの聞き取りをベースにしており、必ずしも「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」からの提言、2007年6月、同事業中央事務局に則ってはいない)。
地域や受付の時間が限定され、医療機関のフィルターを通して申請事例が選択され、原則として警察への届出を先行させるという制約のなかで、また多忙な多数の委員の参加を得るために評価判定・報告に長時間を要するという問題を抱えてきたが、そのような制約にもかかわらず、極めて貴重な成果が得られた。その最大の収穫は、臨床医と病理医および法医の協力による診療関連死の「死因評価におけるpeer
review」が、極めて有用なものであることを明らかにした点だろう。
1)モデル事業で明らかになったこと
モデル事業では、事業の展開に伴って、その中立性を維持するために、手続きを当初案から大きく修正した。
- 患者遺族への評価結果報告は、当初医療機関が評価委員会に代わって行うことになっていたが、評価委員会が患者遺族および医療機関双方に対して同一の機会に報告を行うことになった
- 遺族、医療機関に了承を得た事例につき、当事者名を匿名にして評価の概要と再発防止策を公表することとした
また、モデル事業は、次のような経験をもたらした。
- 病理医、法医および臨床立会医の下で解剖をする試みによって、従来の行政解剖や司法解剖では得られない知見が得られ、診療関連死に適した新たな解剖のスタイルが生まれた。臨床医にとっても、臨床現場でさえ得られない発見があった。
- 異なる専門家相互(異なる学会、臨床と法医、弁護士と医師などなど)の異業種コミュニケーションによって評価判定をする経験を積み重ねることができた
- 遺族への説明会によって、いくつかの事例において遺族の十分な納得が得られることを経験した(この件につき「モデル事業からの提言」は否定的評価をしている)
- 再発防止の提言をルーティン化できた
2)死因究明検討会による評価の問題
モデル事業は、事業の展開に伴って事例数目標を200例から80例に下方修正し、受付後評価までの期間を3ヵ月から6ヵ月に延長したが、これは評価委員の多忙とマンパワー不足および制度設計の重さに原因がある。また、試みの事業であるために、異状死の24時間以内の警察への届出と並行し、医療機関や警察が取扱いの適否を判定した上で評価を始めるなど、余りにも制約が多かった。第三者機関構想は、このようなモデル事業の教訓を十分に踏まえるべきである。
いったん刑事事件として扱われることになると、医学的に事故の真相を究明することは困難になる。しかも判決までは長期間を要し、その間医療者の個人責任だけが追及されるために医療機関が再発防止に取り組むことはかえって難しくなる。2000年から2006年4月までの業務上過失致死傷罪に問われた医療事故の、事故から第一審判決までの期間は、平均44.4ヵ月という長期間であった。
「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会(前田雅英座長)」(以下、死因究明検討会)では、モデル事業の最も大きな収穫であるプロフェッショナルオートノミーの観点をあいまいにしている。さらに医療安全委員会構想にあたっては、医療安全の向上という大きな視点から、上に指摘したモデル事業の多くの成果と教訓を新たな制度設計に生かすべきである。
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2-3 医療事故対策としてのプロフェッショナルオートノミー
1)医療内容についての専門家内部における批判
医師が医療事故に際して患者サイドから信頼されない理由の一つとして、医療業界が積極的に情報開示に努めてこなかったことや、慣習として他の医師の医療内容についてコメントしないことなどが挙げられる。この点について、その時代の平均的な医療水準から見れば適切とは言えない治療が行われたことが原因となって、患者が期待しない結果になった場合であっても、「真相を告知することにより医師患者間の信頼関係を崩すことはかえって治療効果の低下を招く危険性がある」といった一見妥当であるようにも思える説明がなされてきた。
これらの言い分は正論のように見え、とりわけ患者に対する対応としては止むを得ない場合が多いのも事実である。しかし仮にその言い分を認めるのであれば、患者に対してではなくその処置を行った当該医師に対しては、別の対応があってしかるべきである。すなわち不適切な医療を提供する医療機関に対し、医療専門家集団が患者を介さない形で指導や処分を行うことはできるはずである。仮に不適切な医療が提供されていることを知りながらそれを放置しているのであれば、プロフェッショナルオートノミーは機能していないことになり、警察など外部からの処分に対しては異を唱える資格がなくなる。
現行法上は、プロフェッショナルオートノミーに基づく自律的処分は、刑事及び行政処分には免責などの形では何らの影響も与えないため、ただでさえ重いといわれる処分をさらに重くする危険性もある。しかし世界医師会が1987年に採択したマドリッド宣言において、「プロフェッショナルオートノミーの中心的要素は、個々の医師が患者診療に関して自らの職業的判断を自由に行使できる保証」であり、その権利に伴って「医師は自己を律することに継続的に責任を持たなければならない。個々の医師に適用されるいろいろな規制に加え、医師自身が自己の職業的行為を律することに責任を負わなければならない」と記されているように、医師が独立して職業的自由を守るためには自律的な処分を実施することが要件になるのである。
2)プロフェッショナルオートノミーの主体
それでは医師のプロフェッショナルオートノミーの主体として適切な団体とはいかなるものか。現時点では、医師個人に対しては日本医師会や日本医学会に所属する学会など、医院・病院などの組織に対しては日本医師会や四病院団体、日本医療機能評価機構など以外に適切なものは見当たらない。日本の学会が、研究者の団体として設立運営されてきたという経緯はあるものの、すでに医業の専門性を担保する専門医制度に足を踏み入れており、業としての医療に対して無責任ではあり得ない。学会はプロフェッショナルオートノミーのリーダーシップを発揮する主体に脱皮しなければならない。もっとも現存する団体は、調査機能まで備えることは予定されておらず、法的にも現在の処分制度を代替する仕事を担うことは荷が重い。現時点で最も期待できるのは、既に設置が予定されている第三者機関における医療事故の調査分析に際して、医師が主体となってこれに取り組むことである。現存する上記の各種団体は、医療安全委員会の設立に対する協力や、設立以前からの自律性の獲得など、積極的にプロフェッショナルオートノミーの実現を目指すべきである。
プロフェッショナルオートノミーの発現に際しては、以下の点に留意すべきである。
【1】医療安全委員会の設立に当たって、各専門機関は初期判定員や原因調査分析委員、院内調査に協力する外部委員などの名簿を自発的に作成する等、積極的な協力が必要である。
【2】医療安全委員会により処分を要すると判断された場合には、組織及び医療者個人のそれぞれについて、所属する専門機関(学会、病院団体など)が専門的見地からすみやかに再発防止策を講ずるべきである。
【3】原因分析の結果、是正されるべき点が明らかになった場合には、当該専門機関は行政や刑事の処分を待つことなく再発防止の観点から自律的に教育と処分を行わねばならない。
【4】透明性を確保するために、原因分析の結果については公開を原則とするべきである。
【5】処分を検討する判定委員会のメンバー構成としては、公平性を担保するために、医療者と非医療者の割合に大きな差が生じないよう努力すべきである。
3)看護の質の自律的な向上
現代の医療はチーム医療の性格が強いだけでなく、患者との双方向コミュニケーションが重視され、さらに患者の高齢化がいちだんと進む。さらに医療政策の転換によって高齢者医療の場が病院・施設から在宅(自宅)へとシフトする。このため医師と患者の仲立ちとなり両者の意思疎通を媒介すべき看護師が医療現場において果たす役割はますます大きくなっている。
ことに在宅・地域医療およびホスピス・緩和ケアの最前線に取り組む医師の間では、医療サービスの担い手は「医師よりも看護師」という点で一致している。薬剤師や看護師等の医師以外の医療専門職が果たすべき役割と責任が増大していくとすれば、看護師はたんに「診療補助」を行うのにとどまらず、職業的に自立するとともに、職業人の質を自律的に高めることが期待される。
保助看法によれば看護業務の二本柱は療養上の世話と診療上の補助行為だが、日本看護協会の有田元会長は、「療養上の世話に医師の指示が必要とは認められない」と自負している(2002年11月刊『訪問看護白書』所載「老人訪問看護ステーション創設時の思い出」(伊藤雅治全国社会保険協会連合会副理事長)。また、三輪亮寿弁護士によれば在宅医療の事故の責任の所在が問われたのは昭和63年12月26日の東京地裁判決が最初とされるが、在宅医療現場における事故も表面化しつつあり、看護師の専門職としての自律が問われている。
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2-4 医療機関の内部事故調査委員会の役割
医療事故の引き金には、必ずだれかが関与しているが、それを個人の過失として責任を追及したのでは、医療機関の組織問題の本質的解決にはならない。医療の専門職が安全管理を放置していては、専門職としての責務を果たしたことにはならないであろう。真の医療の専門職であるならば、医療事故を医療機関の組織問題と位置づけて、その原因を解明し、再発防止に役立てなければならない。
医療事故に対して、医療機関は速やかに外部の第三者を含む内部調査を始めるべきであるが、その内部調査は「Who?(誰が)」ではなく、「Why?(なぜ)」を究明することを目的ににしなければ意味がない。もう一歩踏み込んで言うならば、医療機関の内部事故調査委員会では、個人の責任の追及を目的とするべきではない。厚労省第二次試案では、医療機関の内部調査について1項を設けてその意義を強調しているが、この二点を不明確にしたままの内部調査では、医療安全の向上という観点から見ると有害無益となる。内部調査では、事実関係の確認、状況の保全、根本原因の究明を行う。
なお、医療安全委員会における調査中も、医療機関は原因分析を医療安全委員会に投げるのではなく、自ら責任をもって事故原因の究明をつづける。
1)外部委員を加えた内部事故調査委員会の重要性
一定規模以上の医療機関は、医療事故の発生時に、弁護士、学会および職能団体の分析専門メンバーの支援を受け、内部事故調査委員会を開催し、原因究明と改善を図る体制を具有すること義務化するべきであろう。医療安全委員会において原因究明が行われることになった事例についても、医療機関は独自に内部事故調査委員会を設置することが求められる。また内部事故調査委員会の委員には、分析方法と実践の知識がある委員を加えることによって、分析結果の信憑性・透明性を担保する。私たちの医療安全委員会構想では、初期判定により内部調査委員会の調査が妥当とされた場合には、地方医療安全委員会から、外部委員を派遣するべきだと考えている。
内部事故調査委員会は、「事故原因を知りうるのは、当該の医療従事者である」という共通認識をもって医療機関が自律的に解決の努力を示す活動である。しかしながら、ことにヒューマンエラーについては、各医療機関の医療従事者だけで対策を立案すると、現場レベルでの改善提案しか出てこない可能性がある。そこで外部委員を加えて透明性を確保することが重要になるのである。
なお、分析対象となる事象が、犯罪行為、意図的な危険行為、薬物乱用関連行為、患者虐待の疑いなどの可能性がある場合は、分析を中止し、内部事故調査委員会の委員長は直ちに警察に届ける。また、個人の医療技術・判断に大きな問題がある場合は、当該診療科や手技の専門家等や各種学会においてその評価を行う。
最も大切なことは、「なぜ?」という遺族の真相究明の願いに応えるとともに、再発防止のための医療システムの改善策を示すことである。これにより遺族にも「無駄死にではなかった」という感情が生まれ、紛争の解決にもつながる可能性がある。さらに医療者が再発防止の責務を果たすことにより、遺族との新たな関係の構築が始まり、医療不信を軽減させるであろう。
一例として京都大学医学部附属病院エタノール事件において、京都大学医学部附属病院の調査委員会が、日本看護協会の支援を得て、病院管理者・病棟責任者、担当看護師、薬剤師等から情報を収集し、要因分析した例を示す。医療機関が外部者(団体)を含む内部事故調査委員会を設置し、自己解決の努力を行った例である。
この京都大学の例では、内部調査委員会の初動が遅く、結果が出るまでに長期間を要したが、2002年8月の名古屋大学附属病院腹腔鏡手術事件では、医療機関自らが、事故後直ちに事故調査委員会を設置し、「隠さない・逃げない・ごまかさない」ことをスローガンに調査を進めた結果、刑事介入が控えられ、メディアもこれを好意的に報道した。このケースでは、事故からわずか2ヵ月で事故調査結果報告書をまとめている。
2)医療事故における根本原因調査の重要性
事故・災害は、航空、鉄道等においては、事故・災害は人間と機械、環境あるいはシステムとの不適合の結果発生する事象と捉えられており、しかも背後に多くの因子が繋がっている。このため、人間にだけ対策を求めることは最良の方策ではなく、同時に医療機器、環境、組織の対策も考えなければならない。そのためにも、個人が間違いを起こす背後要因について分析することが重要になる。
医療事故後の分析手法には様々あるが、RCA: Root Cause Analysis 根本原因解析法が特に有用である。退役軍人省(Department
of Veterans Affairs)の医療局(Veterans Health Administration)は1990年代よりヒューマンエラー研究を積極的に取り入れたシステム作りをしており、RCAはそこで開発された。
RCAは、特に6つの要因(コミュニケーション、研修、疲労とスケジュール、環境と器械、規則・原則・手順、防御)に重点におき分析するものである。
たとえば、廊下で患者が転んでしまった事故は、「部屋の照明レベルによって、つまずきやすい危険物が見えにくくなり、患者が転倒する可能性が増大した」と分析され、ヒューマンエラーは原因ではなく、結果であると考えられる。このような分析方法によって、長い間医療者が囚われてきた医療事故の責任を個人に求める文化から、組織としてシステムの改善にエネルギーを注ぐ方向へと転換する。
特に、人間の情報処理回路は、シングルチャンネルで、これは人間がもって生まれた限界であるが、医療業務は、同時に複数の業務遂行が求められることが多く、エラーが発生しやすい。また医療現場は複雑で、安全ではないシステムである。ハード面においても、現在使用されている日本の病院のほとんどの建築構造はヒューマンエラーを考慮に入れて設計されていない。
3)医療事故原因調査におけるシステム要因の究明
実際の医療事故を見ると、チーム医療の問題はじめ、さまざまの要因が複雑に絡み合い、不幸な結果になっている例が多い。根本的には、医療機関の安全管理や医療者教育、薬品・機材器具の管理等のシステム要因が関わっている。
京都大学医学部附属病院エタノール事件を例に、医療事故における病院医療管理の関与について触れておきたい。なお、この事件の判決に対し、日本看護協会は、事故に関与した看護師のみの責任が問われたことを疑問視し、真相究明を求める意見書(2004年3月)を大阪高等裁判所第3刑事部に提出している。
(1)事件の概要
2000年2月、小児科・移植外科病棟において、ミトコンドリア脳筋症の患者の人工呼吸器の加温加湿に補充すべき滅菌精製水をエタノールと間違えて保管庫より病室へ運び込み、53時間にわたって患者に吸入させた事故である。この事件では、看護師4名が誤ってエタノールを注入したが、最初にエタノールを滅菌精製水と間違えた新人看護師1人の個人責任が問われ、京都地裁は、業務上過失致死、禁錮10月、執行猶予3年の判決を言い渡した。
(2)外部委員を含む内部事故調査委員会の報告
看護協会の意見書では、最初に注意義務を怠った新人看護師一人に事故の責任を帰すのではなく、【1】交替制勤務のなかで患者を引き継いだ後続の複数の看護師、【2】看護管理者、【3】医師・薬剤師、【4】病院システム全体からみた組織の責任が問われなければならないことを指摘している。
まず、新人看護師が注意義務を怠った背景には、次の状況があった。
【1】高度先進医療に伴う過重な業務量
事故当日の入院患者47名(うち人工呼吸器装着患者5名)に対して、看護師は準夜勤務4名と深夜勤務3名で過重な業務量
【2】初めての機械操作と指導・監督体制の不足
【3】業務量に比して不十分な人員配置
次に、その注意怠慢の誘因となった勤務管理には、次のような問題があった。
【1】交替制勤務上の配置不足
【2】新人看護師に対する教育、監督、支援の不足
さらに、後続の複数の看護師が注意義務を怠った共通の要因および注意怠慢を継続させたシステムとして、
【1】薬品の変更に伴う情報提供や注意喚起システムの不備
【2】類似容器の危険性の予測と対処に関する不注意
【3】当該病棟における薬品管理の問題
が明らかになった。
この調査報告は「看護師一人に事故の責任を帰すべきではない」とする主張を予めもった上での分析とも思われるが、外部委員が加わることで初めて医療機関のもつ問題を明らかにすることができる。
4)組織と医療者個人の利益相反
個人の責任を問う刑事訴訟では、組織(病院)と医療従事者、医師と医師の間(当事者の医師相互や、当事者である医師と管理責任を問われる医師)などの利益相反
(conflict of interest)が様々な形で生じる。東京女子医大人工心肺事件では、特定機能病院の指定を失いたくない大学と同病院の医師である刑事被告人が法廷で争っている。
つまり、組織の責任者や病院開設者は、民事責任はもちろん、自らの管理責任を問われるおそれがあり、特定機能病院や保険医療機関取り消しといった行政処分の対象となる危険性があるため、医療事故の直接の引き金となった医療従事者が「だれ(Who?)」であるかを問う議論に与しやすい。内部調査は、しばしば責任の所在を調査するものになって、その根本原因を「なぜ(Why?)」と問うことをおろそかにする。内部事故調査委員会においては、とかげが尻尾を切るように、過誤の責任者を処罰して終わるようなことがあってはいけない。
組織のなかのそれぞれの責任者は、現状では、いつ刑事訴追や行政処分の対象とならないとも限らない、という重圧の下で調査に協力するので、一歩間違えると、内部調査には、客観性や中立性は担保されないおそれもある。しかし本来は内部調査においてこそ、根本原因の究明が可能であるから、内部調査組織は必ず外部委員を加えたかたちで設置すべきである。外部委員が加わらない内部調査では、死因究明や、過誤の責任追及の過程が、意図的あるいは無意識のうちに歪められる疑念が高いことも考慮しなくてはならない。
医療事故に際して、その組織の内部にいる「専門家」は、当事者あるいは当事者と利害関係をもっていることが多いので、中立性を保つ意味で、調査主体からは排除すべきである。そのため、医療安全委員会により外部調査委員として当該医療に詳しい「専門家」を派遣する必要がある。
東京女子医大人工心肺事件でも3学会合同調査委員会の報告書から内部調査報告書が極めて不十分な報告書であることが明らかにされており、福島県立大野病院事件でも同様である。
5)医療安全委員会への報告と内部調査に対する不服申し立て
内部調査による検証作業は、再発防止を目的としたシステムエラーの解明、組織的な不備の検討・解明に留めるべきであり、得られた事実は、医療安全委員会での検証に提供するべきである。そこで医療機関は診療関連死の原因究明後、事故調査結果報告書を、地方医療安全委員会に報告する。遺族または医療担当者は、この調査結果報告に不服がある場合には、中央医療安全委員会に調査を求めることができる。中央医療安全委員会は、このような求めがあった場合、再調査に理由があると認めるときは地方医療安全委員会に再調査を指示する。地方医療安全委員会は調査をするとともに、外部ADRによって医療機関のADRをサポートする。
遺族にとって肉親が突如亡くなるという状況を受容するためには、ある一定の期間を要することが多いため、医療安全委員会内にメディエーションスキルを持った調整員の存在が重要となる。
そして内部事故調査委員会の調査結果をはじめ、その検証、不服申立を含む活動を、医療安全委員会は遺族の同意を得て、社会に公表することに努めるべきである。このことにより、医療機関の隠蔽体質を改善する他、医療機関が、自律的に医療事故問題を解決していくことを支援していくことになるだろう。
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2-5 プロフェッショナルオートノミーと行政処分の関係
事故原因の判定結果によっては、医療機関および/または医療担当者に行政処分を科すことになるが、この仕組みでは、行政処分の適用を地方行政単位ごとに可変的なものとする。医療関係団体による教育的処分が実効性を示す場合には、行政処分は控えられ、それが効果を挙げないときに、行政処分が適用される。すなわち、行政処分の範囲は、プロフェッショナルオートノミーの働きとトレードオフの関係をもって、互いに補完する。プロフェッショナルオートノミーによる安全管理体制の再構築、処分、教育が十分に実効をあげる場合には、行政処分は限定的なものとなる。
患者-医者関係には地域性があり、地方-都市で違いが著しい。人口構成も異なれば、疾病構造も異なり、また医療リソースの格差も大きい。また現場の医療担当者のモチベーションを維持しなければ、医療の質は維持できない。こうした条件のなかで、住民の医療福祉の水準と医療安全を維持すべく、病院団体、医師団体、患者市民団体などの協力を得て医療安全に実効のある施策を講じなければならない。さらに付言すれば、地域の医療レベルを維持する観点に立って、医療安全にかかわるプロフェッショナルオートノミーと行政処分のバランスを裁量していく必要がある。 ▲TOP
2-6 第三者機関と刑事責任との関係
1)刑事責任の厳密な類型化の必要性
医療事故について刑事責任を問う事例は、厳密に類型化し、限定すべきである。刑事責任を限定的に扱うのは、本来、応報と秩序維持を目的とする刑事責任の追及が、再発防止にはもちろん真相究明にも役立たないばかりか、むしろそれを阻害するためである。警察官および検察官は業務上過失致死の構成要件に沿って捜査し、その過失の認定にもとづいて個人の責任が追及されるため、刑事捜査および裁判は事故の実質的原因の究明や再発防止策にはつながらない。医療事故において医療担当者の業務上過失致死傷を追及する問題については、別の政策提言1)において参考判例を挙げて、要旨次の如く論じたので簡略に引用するにとどめる。
刑事責任では「誰が悪いか」が問われる。警察はまず「犯人(被疑者)」を捜し、刑法が求める要件事実に沿って必要な証拠を固め、送検する。事故の原因は、しばしば医療制度や医療現場の習慣に依存し、あるいは医療機器の設計上の問題、病院の組織の仕組みやチームワークの問題がかかわっているものだが、そうした事情は考慮されない。業務上過失の法的構成要件にあたる過失と重大な結果との因果関係に関わらない事象は、事実関係から捨象されてしまう。
根本原因分析をすれば、病院システムや器機、薬品の扱いミスを誘発しにくい仕組みづくりに生かすことができるかもしれないが、刑事責任の基本は、事故に対する個人責任である。このため刑事責任の追及に事故の真相解明を期待することは、幻想である。ミトコンドリア脳症の患者の人工呼吸器の加湿器に誤ってエタノールタンクをセットした京大エタノール事件について、大阪高裁判決(今井俊介裁判長)は「過誤の再発を防止するには直接過誤を犯した者を処罰するだけでは不十分であり、過誤を引き起こした実質的原因を解明してその防止策を検討すべきであるという点には裁判所も全く同感である」と述べ、「本件過誤を引き起こした実質的原因を解明することはこの裁判所に与えられた権限を越える」と敢えて刑事裁判の限界に言及している。刑事裁判は罪となる構成要件を確定するものであって、事故原因を究明するものではない。
・病態変化の非線形性の問題
医療事故のひとつの典型は、刻々変化する病態への対応において生じる事故であるが、好ましくない結果が生じたとき、その結果から振り返って、変化する状況における判断(プロスペクティブな判断)の誤り求められるものである。医療は本質的に不確実なもので、その責任を振り返って(レトロスペクティブに)問うことは適切性を欠く。しかも、病人に生じる変化は、線形的ではないので、因果関係を跡づけることは必ずしも可能ではない。
2)医師の判断ミスの責任
医師の判断ミスで予期しない結果が生じることは少なくない。しかし、このような医療判断の適否は、その時代の医学の水準に照らして論じられるべきもので、法的責任を問うべき範囲は厳しく限定されるべきである。医師の単純な診断・判断ミスは、薬剤の誤処方などを除いて、これまでも刑事責任のボーダーライン上にあった。事実、医師の判断ミスが刑事責任を問われた事例は、杏林大学救命救急センター割り箸事件(No.
99)と異状分娩事故(No. 14、73)を例外に、極めて少ない。もっとも判断ミスであっても、相当数の医療事故が、事件性ありとして捜査され送致されていると思われる。2003年以降に医師が起訴された事件は9件に過ぎないが、東京地方検察庁へ送致された医療過誤事件の件数は111件で、ここには診断ミス等が含まれている(法務省刑事局刑事課長の「医療と法律研究協会シンポジウム、2007年」における発言)。刑事事件として表に出るのは9件だが、その10倍以上の医療事故が警察の取り調べを受けていることになる。
検察関係者は、医療過誤の捜査件数に対して起訴件数が10分の1程度に少ないことをもって「刑法の謙抑性」の証左であるとする。しかし、医師の医学的判断に関する捜査の内実は、警察官が専門家に参考意見を尋ね、これを参考に被疑者に問い質すというもので、これは元来、専門家同士のピアレビューのかたちで行われるべきものであって、警察官を介して行われるべきではない。
純粋に診断学的な問題とみなされた事例は、不起訴あるいは起訴猶予とされているが、医学的診断についてまでも警察と争わなければならないことが、医療従事者に多大な身体的精神的苦痛と医療の萎縮を生んでいる事実を重く見る必要がある。新しい制度では、たとえ重大な過失あるいは未必の故意が疑われるケースでも、医療安全委員会で検討されている間は、警察への届出および警察の捜査は控えられるべきだろう。
診療関連死は全件、医療安全委員会に届出るが、「争う余地のない医療犯罪」は、直ちに警察へ医療安全委員会から通報することとする。初期判定員による形式的な入口審査ですでに医療犯罪が明らかな場合、また、入口審査を通過して、医療安全委員会で事故原因の分析を開始した以降でも、速やかに警察へ通報する。あるいはまた解剖により「その死体について犯罪と関係のある異状を認めたとき」などは、死体解剖保存法11条により警察署長に届け出ることになる。この「犯罪と関係のある異状を認めた」との判断基準も「争う余地のない医療犯罪」に準ずる。そうすることで、法益保護、社会の安寧を維持し、医師法21条の趣旨を維持することができる。
それでは、どのような場合が「争う余地のない医療犯罪」と言えるか。
国民の医療安全、質の維持を第一義的に考え、医療安全委員会に全件届出としながら、法益保護、社会の安寧を維持するためには、刑事介入との棲み分けを明確にする必要がある。また医療の萎縮を回避するためにも、刑事介入事案の明確な類型化が必要である。そうしないと、結果的に医療安全委員会に、広く刑事事件の通報義務を課して過失の判断をさせることとなり、本来の目的以上の負担を課することになる。
そこで、医療犯罪として、警察への通報を要するものは、以下の類型とする。但し、どれも争う余地のないほどに明確な場合に限定される。
- 故意または未必の故意がある場合
- 証拠隠滅、虚偽診断書作成、カルテ改竄、届出妨害により、正確な調査が不可能な場合
4)具体的類型
I 争う余地がない故意または未必の故意*がある場合
これはまさに医療刑事犯罪と言える類型である。
侵襲性を伴う医療行為は、刑法理論から見た場合、形式的には傷害罪の構成要件(刑204条)に該当し、違法性を有する。
*未必の故意:犯罪事実の確定的な認識、予見はないが、その蓋然性を認識、予見している一定の場合
但し、【1】患者の同意があること、【2】医学的適応性(医療行為が患者の生命・健康維持・増進にとって必要であること)の存在、【3】医術的正当性(医療行為が医療上承認された医療技術に従って行なわれること)の存在が、あって初めて違法性が阻却される(「刑法総論第2版」山口 厚)。
そこで、【1】から【3】までの要件を欠く場合には、傷害罪またはそれによって死亡した場合は傷害致死罪が成立することになる。
これまでの医療事故の事案は、業務上過失致死罪で処理されてきた。これは、医療現場で行なわれた行為について、仮に違法性阻却事由がなくても医師が違法性阻却事由があると誤信していたとなると故意犯としての責任を問うことができないため、立証上検察官も過失犯で起訴してきたと思われる。しかし、2000年から2006年6月までの判決及び略式命令(別表)を検討すると違法性阻却事由の要件を充たしているか、疑問の事案も見受けられる。たとえば、胎盤鉗子による人工中絶子宮破裂事件(福島冨岡簡裁、付表事件番号38)や精神科通院患者搬送時窒息死事件(千葉地裁、付表事件番号94)は、明らかに医療を隠れ蓑にした犯罪であって、厳しく処罰する必要がある(事例については7章において検討する)。
II 証拠隠滅などにより、正確な調査が不可能な場合
公務所(役所)に提出する診断書、検案書、死亡証明書に虚偽の記載をしたときには、医師が公務員の場合は刑法156条で、それ以外の医師については160条(罰則が公務員の時の方が重い)で処罰されている。
また、カルテ改竄がなされたり、上記の診断書に虚偽記載があったり、証拠隠滅がされると、医療安全委員会では正確な事故原因の究明は困難である。
本来医師は、契約責任からしても死因究明に協力していかなくてはならないところ、これを阻害することは、悪質性が高く、医療安全委員会ではその目的を達することはできない。
ところで、カルテ等の診断記録、検査記録は、患者の病状を知る上で重要な記録であり、その時々の患者の情報、医師の判断を記載することが求められ、事故が起こったときに遡ってその事故原因を究明していく大切な手掛かりである。しかし、これまでカルテ改竄については、刑法で処罰の対象とされてこなかった。
カルテ等の診断検査記録は、医師の記録でもあるが、患者自身の記録でもある(個人情報保護法でこの点が明確にされた)。
しかし、これらの文書は医療機関側が保有しており、ひとたび事故が起きて改竄されると、事故原因を正確に探ることができない。また、それだけに改竄される危険性も高い。
このように大切な患者の記録を事故後改竄することは、医師の医療倫理に大きく悖る行為で悪質性が高い。カルテ改竄は医療者に求められる倫理性を大きく逸脱することから、刑法をもって処罰すべきであって罪刑法定主義に則り、早期に「医療過誤の隠蔽にかかわるカルテ改竄を罰する規定」を新設すべきである。
引用文献
神谷惠子編著『医療事故の責任』毎日コミュニケーションズ, 東京, 2007
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