「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」に対する意見

2.警察への通報

第25 警察への通知
標準的な医療から著しく逸脱した医療に起因する死亡又は死産の疑いがある場合

大綱案では、第三次試案において「重大な過失」とされていたものを「標準的な医療から著しく逸脱した医療」とした。医療界から「重大な過失」を警察に通知することに強い反発があったために修正を加えたのであろうが、標準的医療が定まっていない分野も多く、「重大な過失」と同様の曖昧さは否めず朝三暮四の誹りを免れることはできまい。たとえ、「病院、診療所等の規模や設備、地理的環境、医師等の専門性の程度、緊急性の有無、医療機関全体の安全管理体制の適否(システムエラー)の観点等を勘案して、医療の専門家を中心とした地方委員会が個別具体的に判断する」と注記したとしても、「標準から逸脱しているが重大な過失ではない」医療は警察への通知案件ではなく、医療倫理の案件である。まずは専門家の自律的処分に委ね、実効性が上がらない場合に行政が介入するという手順とすべきである。

今回新たに「標準的治療」の判断の根拠として各学会で示される診療ガイドラインや、医師一般に知られている治療方針が示されたが、これらを論じる場合には十分注意を要する。つまりガイドラインは文献的エビデンスに基づいた診療指針であり、実際の診療に際しては個々の医療に対し柔軟に対応でき、また個人の意志も考慮され、必要なコストを考慮した上で柔軟に適用されるべきものであり、患者の個別性や価値観、医師の能力や裁量、保険適応や法律などの社会的制約を考慮した上で活用されることが求められている点、また、ガイドラインの中には現時点で一般的に行われていない医療を含めた望ましい将来的指針としてまとめられているものがある点には注意が必要である。
 そもそも診療ガイドラインは医療の水準を定めたり、事故の評価を行うために作成されているものではないこと、診療ガイドラインにおける推奨事項は、個々の臨床状況で行われるべき医療内容の法的根拠とはならない旨あえて明示して注意を促していること(Hurwitz、BMJ 1999)、勿論わが国においても診療ガイドラインは規則ではなく比較緩やかな指針として作成され運用されており、ガイドラインの推奨事項がそのまま当てはまる対象となる患者はごく一部であること、ガイドラインは患者家族の個別性や価値観を重視し治療選択に際して医療者と患者家族が対話を行い、向き合うことを目的としていること、法的根拠としての利用は不適切であるばかりか、むしろ有害であるとされていることは重要な点である。
 また、医療水準を問う契機が医療事故だけでよいのか、医療法にしめされた適切な医療がなされたかどうかを判断するのであれば、当該行為の詳細を評価検討し、その時点より前の予防機構やリスクの共有の状況、事後の対応や再発防止への取り組み、患者家族との関係など十分検討したうえでの判断が求められる。医療事故を契機にして水準を論じるのは、医療の質や透明性の向上のための取り組みの一つの切り口ではあるが、それが全てではない。法的な判断の論拠となる評価とは切り分けて考えるべきである。

第25 警察への通知
③ 当該医療事故死等に係る事実を隠ぺいする目的で関係物件を隠滅し、偽造し、又は変造した疑いがある場合、

診療録(カルテ)の改竄を特定せず、「関係物件を隠滅し、偽造し、又は変造した疑いがある場合」としているが、カルテ改竄については、現行刑法で処罰する規定がない。カルテは、患者自身の個人情報として保護されており、カルテの改竄は医療倫理にもとる行為である。
 この類型は、調査委員会において通知の対象とされているが、直接適用される法文がなく、法の手当を要するカルテ改竄の違法性に鑑みると、処罰規定を置くべきである。

第25 警察への通知
③ ……類似の医療事故を過失により繰り返し発生させた疑いがある場合…

注)「類似の医療事故を過失により繰り返し発生させた」とは、いわゆるリピーター医師のことであり、例えば、過失による医療事故死等を繰り返し発生させた場合をいう。

「リピーター医師」とは、リスクの高い領域で繰り返し事故に遭遇した者ではなく、その過失が、個人の資質・技倆・倫理観に起因するものを指すのであろうが、そのような場合に過失責任を問われるのは病院管理者であり、常習的な医師ではない。常習的に過失をおかす医師は、医学界によって再教育されるべきであり、なお改善しない場合には行政処分によって、臨床から隔離すべきである。医師の資格に値しない者について、軽度の刑事処分をもって処理するべきではない。

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